東京地方裁判所 昭和57年(ワ)12418号 判決 1984年6月26日
原告
宮下清治
原告
宮下ヨシ
右両名訴訟代理人
草島万三
被告
医療法人(財団)道園会
右代表者理事
松永剛三郎
右訴訟代理人
平沼高明
関沢潤
堀井敬一
野邊寛太郎
主文
一 被告は、原告宮下清治及び同宮下ヨシに対し、各金一九七三万四九一二円及び右各金員に対する昭和五七年一〇月二〇日から各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの連帯負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。
五 被告において、原告宮下清治に対し、金二一〇〇万円の担保を供するときは、被告は、同原告の前項による仮執行をまぬがれることができる。
六 被告において、原告宮下ヨシに対し、金二一〇〇万円の担保を供するときは、被告は、同原告の第四項による仮執行をまぬがれることができる。
事実《省略》
理由
一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。
二請求原因2(事故の発生)の事実のうち、訴外鈴木が電気コンロをつけたまま寝込んでしまつたとの事実以外の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すると以下の各事実を認めることができる。右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 本件事故の発生及びこれに至る経緯
訴外鈴木(当時六一才)は、被告に炊事係として雇用されていたが、事故前日の昭和五七年三月二八日午後五時三〇分ころ本件宿舎一階の自室において、コタツ板上に電気コンロを置きこれで味噌汁を作り食事をしたが、部屋内が寒かつたため、右電気コンロを通電状態にしたまま同日午後六時ころ、向いの訴外鎌田の部屋に赴いて同人と飲酒し、冷酒をコップに二杯程度飲み、同八時ころ訴外鎌田が外出したので、一旦自室に戻り、更にコップに二杯程度飲酒した。同九時一五分ころ訴外鎌田が帰宅したので、訴外鈴木は再び訴外鎌田の部屋を訪れ、同一〇時半ないし一一時ころまでなおも日本酒を二合程度飲酒し、ほぼ酩酊状態になつて、自室に戻つた後、再度訴外鎌田に酒を貰つて、自室の電気コタツに入つたまま横になり、寝込んでしまつた。その際も右の電気コンロは右コタツ上に通電状態で置かれていた。
そして本件事故当日午前四時一六分ころ、訴外鈴木が右電気コタツの中で寝返り等しているうちにコタツ板上から右電気コタツがコタツ布団上に落下して出火し本件火災が発生するに至つた。
2 本件火災発生後の状況
右同時刻ころ足元が熱くなつて目が覚めた訴外鈴木は、右電気コタツの周りから炎が出てコタツ板上三〇センチ位の高さに燃え上つているのを発見して火災と気づき、直ちに廊下に出て「事務長」と呼びながら、同宿舎に備え付けの消火器を使用することなく、二回程本件宿舎内の洗面場で洗面器に水を汲み、その水を火元にかけたが消火できず、火勢に狼狽してなす術もなく裏庭に逃げ茫然としていた。一方訴外鎌田は、自室で就寝中、訴外鈴木が右鎌田の部屋のガラス戸を割つた音に目が覚めると共に火災の発生に気づいたが、既に火勢は訴外鈴木の部屋全体に及んでいた。訴外鎌田は、急拠本館にゆき、一階屋内に設置された消火栓のホースを延ばして初期消火を試みたものの水量が少なくて火元に届かず、また、二階屋内に設置された消火栓のホースを延ばしてみたが、ホースが長くて折れ曲り有効に水が出ず、右ホースの使用も断念した。他方本件火災発生後松永病院の火災報知機が作動して非常ベルがなり、その二、三分後には、既に二階の屋根から火があがつている状態であつた。そのころ本館での宿直勤務で仮眠中の看護婦訴外高橋ミチエ(以下「訴外高橋」という。)と同訴外神代清美(以下「訴外神代」という。)は非常ベルの音で飛び起き、自動火災報知機の受信盤のある本館二階看護婦勤務室に行つたが、右高橋は、誤発信と思い込み、また入院患者が動揺することをおそれて非常ベルのスイッチを切りその後再びベルの鳴つた箇所を確認するために二度スイッチを戻したがベルは鳴つたものの覚知場所を示す表示灯は最早点灯しなかつた。そこで右両名はエレベーターで本館各階を廻り病院内を点検すると、出会つた家政婦から異常なしとの回答を得たためそれ以上の点検をせず事務所に戻り、全館放送で「異常がありませんからお休み下さい。」と放送した。その後事務所にかかつた電話連絡により初めて本件火災の発生を知つた。このため本件寄宿舎は、病院関係者らによる効果的消火活動もなされないまま全焼し、また、同宿舎居住者である亡美由紀に対しては、何ら火災の発生を知らせたり避難誘導の措置がとられたりすることもなく、本件事故に至つてしまつた。同宿舎二階に居住していた他の看護婦二名はたまたま不在のため難を逃れた。
三請求原因三(責任原因)について
1 <証拠>を総合すると、松永病院は、本館(鉄筋コンクリート造五階建)と別館(同二階建)の二病棟を有し、従業員は約五〇名、ベッド数は一〇〇であること、本件事故発生当時宿直勤務はわずか医師一名、看護婦二名の合計三名であつたこと、本件宿舎は、松永病院の敷地内にあつて、本館の東に隣接して建築され、本館及び別館とは廊下で接続されていて、同宿舎の構造は、同宿舎一階は同病院の事務長訴外鎌田(六畳間)及び同宿舎の炊事係訴外鈴木(四・五畳間)の居室となつているほか、病院の車庫、霊安室、休憩室、ロッカー、布団部屋があり、二階には同病院の看護婦亡美由紀(六畳間)、訴外田中ますみ(四・五畳間)、同石川智子(四・五畳間)の三名の居室のほか、空室三室があり、便所、浴室及び台所は共用となつていること、防火管理者訴外鎌田作成にかかる松永病院(訴外鎌田が松永病院の防火管理者であることは当事者間に争いがない。)の消防計画二三条三項によれば、「本件宿舎在場者は災害発生時に緊急連絡をうけた場合は直ちに本部に集合し、隊長の指示により活動する」旨定められ、また東京松永病院自衛消防隊編成表(夜間)によれば、夜間の災害発生時における同消防隊救出救護班として宿舎入居者の四分の一の者が、また消火班として同半数の者が、更に防護安全係として同四分の一の者がそれぞれ従事すると予定されていたことが認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところが、使用者は労働契約に基づき労働者から労務の提供を受けるために提供した場所、施設の設置管理に当たり、労働者の生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべきいわゆる安全配慮義務を負つており、右は労働契約に付随する信義則上の義務である。これを本件についてみるに、前記認定の事実関係によれば、被告は本件宿舎を松永病院の霊安室等として利用するほか、同病院で働く事務員及び看護婦の宿舎として設置管理しているものであることが明らかであるが、医師・看護婦等病院に勤務して医療に直接従事する者の労働が、その職務の性質上、しばしば深夜ないし早朝にまでわたることが避けられないこと、及び緊急時には、勤務時間外においても仕事に従事することを余儀なくされざるを得ないことは今更いうまでもないところであり、特に病院においては、災害発生時等不測の事態が発生した際の入院患者保護のため、物的、人的両面からする防災設備の完備は、病院事業の経営上不可欠である(医療法二〇条ないし二四条、消防法八条、八条の三、一七条、建築基準法二条、三五条参照)といわなければならない。そして前記のとおり、同宿舎の居住者は、病院内に緊急事態が発生した場合は本部に集合して防災活動に従事することとされているとともに、松永病院自衛消防隊(夜間)の救出救護班、消火班、防護安全係として重要な役割を担うことが予定されているのである(ところが被告代表者尋問の結果によれば、松永病院においては、消火班は寄宿舎居住者と夜警をもつて組織されるべきであるのに、本件事故当時夜警は特に配備されていなかつたことが認められる(右認定に反する証拠はない。)から、結局同病院での夜間の火災に対する消火活動は、寄宿舎居住者にのみ期待されていたことになる。)から、本件宿舎は、単に看護婦に対する便宜供与の目的で設置されただけのものではなく、被告の事業の本質と密接かつ有機的に関連し、看護婦らからの労務の提供及び被告の受領を容易ならしめるための施設として、すなわち被告の行う病院事業経営のための必要不可欠な設備として設置、管理されていたものというべきである。そうである以上、被告がその被用者たる看護婦である本件宿舎の居住者に対し、本件宿舎の設置管理に関して前記安全配慮義務を全うすべきものであることは極めて当然のことといわなければならない。
被告は、本件事故は、訴外鈴木が被告の業務ないし同人の職務とは全く関係のない、純粋に個人的な行為を業務時間外になした結果発生したものであつて、安全配慮義務の妥当範囲外の事故である旨主張するけれども、前記のとおり、安全配慮義務が雇用契約に基づく信義則上の義務であつて、それが本件宿舎に居住する被用者たる看護婦の安全に配慮すべきことを内容としていることからすれば、本件出火の直接原因が個人的な行為であるか否かにかかわらず、安全配慮義務違反の事実と亡美由紀に生じた事故との間に相当因果関係が認められる以上、本件事故それ自体について被告はその責を免れ得ない道理であつて(右事故と被告の安全配慮義務違反の事実との間に相当因果関係あることは後記認定のとおりである。)、本件出火の直接原因が被告の業務と直接の関係がないという一事をもつて、亡美由紀に生じた事故が安全配慮義務の妥当範囲外というわけにはいかないのである。
2 そこで進んで、本件において被告に安全配慮義務違反があつたか否かについて検討する。
原告らは、訴外鎌田は、被告の防火管理者、訴外鈴木は被告の火元責任者の地位にあり、いずれも被告の安全配慮義務の履行補助者として火災の発生を防止するため必要な注意をすべき義務を負つていたところ、訴外鎌田には、本件事故発生前、訴外鈴木が夜遅くまで飲酒して酩酊状態に陥り、日頃から飲酒によりだらしなくなりおよそ火気の管理ができなくなることを知つており、かつ、常日頃から居室内で裸火を使つて酒の肴等を調理していることを知りながら何ら注意を行うことなく放置してきた過失があり、また訴外鈴木は電気コンロを通電状態にしたまま寝込んだ過失があるから、被告には、安全配慮義務違反がある旨主張している。
<証拠>によれば、訴外鎌田は、常日ごろ訴外鈴木が飲酒する際、自室において電気コンロを使用して酒の肴等を作ることもあるのを知りながらこれを放置していた事実を認めることができるけれども、右鈴木が電気コンロを暖房用に使用し、これをつけたままの状態で寝込む事情まで知つていたことを認めるに足りる証拠はなく、右事実のみでは未だ本件火災発生につき訴外鎌田に過失があると認めるに足りない。また、前記認定の事実からすれば、本件火災発生につき訴外鈴木に電気コンロをつけたまま寝込んでしまつた点において重大な過失があることは明らかであるけれども、右は寄宿舎居住者として、一般社会生活上当然に負うべき注意義務を怠つたというにすぎず、右過失のみをもつて被告に安全配慮義務違反があるといいきることは困難であるから、原告らの前記主張は採用しない。
3 また、原告らは、被告は本件宿舎の管理規則を制定し、本件宿舎内で火気の使用、少なくとも各個室における電気コンロなどの裸火の使用を一切禁止する措置をとるべきである旨主張する。本件宿舎が木造建物であることは当事者間に争いがなく、したがつて、一旦火災が発生すると火のまわりがはやいことは十分に予想されるところであるから、被告は、本件宿舎居住者らに対し、火気の取扱いにつき十分に指導、監督すべき義務があるとはいえても、電気コンロ等の社会生活上の必要性に鑑みるとき、本件宿舎における、火気一切の使用を禁止すべきであるとか、各個室内における裸火の使用を禁止すべきであるとまではいいきれず、他方被告は、後記4(二)で認定するとおり、従業員に対し日頃の注意は一応していたとみられるのであるから、原告の右主張も採用できない。
4 前記認定の本件宿舎の構造、機能、病院棟との位置関係、居住状況に鑑みると、本件事案のもとでの被告の負うべき安全配慮義務の具体的内容としては、①燃えにくい構造にする等建物自体を整備すること、②一旦火災が発生した場合において直ちに初期消火活動が可能な程度に消火器等の物的設備を整備すること、③火災発生後速やかに本件宿舎居住者にこれを知らせ、かつ、安全に避難できる物的設備を整備すること、④火災発生後も初期消火が可能な程度の人的整備をすること、⑤被用者らに対し、防火管理者・火元責任者などを通じて、火災の発生を未然に防止するための適切な指導監督をなすこと、⑥被用者らに対し、初期消火の方法、避難誘導の方法等の点について、適切な指導監督をなすこと、⑦右①ないし⑥を実施するに際して中心的役割を果すべき防火管理者・火元責任者に適切な人員、人材を配置することの各義務を有しているというべきである。(なお、原告らは、右安全配慮義務の内容につき、消防法八条(防火管理者)所定の義務内容を主張し、一方被告は右義務は公法上の義務であつて、被告が使用者として、被用者である亡美由紀に対して負う労働法上の義務ではない旨主張する。被告が亡美由紀に負うべき安全配慮義務は、前記のとおり、労働契約に付随する信義則上の義務と解せられるから、右消防法八条所定の義務内容が直ちに使用者の被用者に対する安全配慮義務の内容となるわけではないけれども、同条の定める右の義務は、火災の予防、鎮圧の目的から必要事項を規定したものとして、火災事故に関する右のいわゆる安全配慮義務の具体的内容を判断するに当たつても重要な指標となりうるものといわなければならない。)。
そこで以下本件事案のもとにおいて、被告は右の具体的内容による安全配慮義務を尽くしたといえるか否かについて検討する。
(一) 建物自体の整備、消火のための物的設備、避難設備の各点に関する安全配慮義務違反について
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。
本件宿舎は、昭和一四年に建築され、老朽化した防火造一部木造二階建瓦葺外壁ラスモルタル塗りの建築面積二二三平方メートル、延面積三四八平方メートルの建物であること、同宿舎には消火設備として一階、二階の各通路にそれぞれ粉末二〇型消火器各一本が、また警報設備として自動火災報知設備(受信機は新館二階に設置)が、それぞれ設置されていたこと、本件宿舎北西側奥二階の非常口に二階から一階に通じる非常階段が設置されていたこと、被告は、松永病院棟及び本件宿舎の消防用設備等につき昭和五五年九月一日訴外江東防災との間に消防法一七条の三の三の規定にしたがい外観及び機能点検を年二回、総合点検を年一回の割合で実施する内容の消防用設備等の定期点検契約を締結し、右江東防災は、右契約に基づき昭和五六年四月一一日自動火災報知設備、消火器具、誘導灯及び誘導標識、避難器具、屋内消火栓設備の各点検を、また同年九月一九日にも自動火災報知設備、屋内消火栓設備、配線、誘導灯及び誘導標識、消火器具、避難器具の各点検を、同年一二月五日には自動火災報知設備の点検をそれぞれ実施していることが認められる。しかし他方前掲各証拠によれば、消火栓は本館には設置されているものの本件宿舎には設置されていないこと、右本館の消火栓も昭和五六年四月一一日の点検では、消火栓の配管バルブ類につき高架水槽用逆止弁不良交換要、ポンプ起動用表示せず修理要、屋上テスト弁芯棒破損取替要の各指摘をうけ、同年九月一九日の点検においては、屋上テスト弁芯棒破損交換要す、自動火災報知機の発信機と消火栓の起動装置とが連動せず、高架水槽側逆止弁不良交換要す、ホース亀裂あり交換要す(五階二本、四階一本、一階一本、計四本)、起動用表示灯フリッカーせず調査修理要すと、ほぼ前回同様の指摘を受け、また同年一二月五日の自動火災報知設備点検の際には、屋内消火栓連動せず、消火栓起動リレー不良修理要の指摘をそれぞれ受けるなど多種多様の不具合ないしは欠陥の所在等を指摘されていたほか、特に昭和五六年四月以降、屋内消火栓について自動火災報知器と消火栓との起動装置が連動せず修理が必要等決定的な不備の指摘を受けながら、被告は同年一二月まで何ら改善の方策をとつていないこと、また、前記認定のとおり、本件事故の際、訴外鎌田は一階の屋内消火栓のホースにより消火を試みたがホースから水は少量しか出ず、また二階の屋内消火栓のホースからも有効に出ず、いずれも本件火災の消火に全く役立たなかつたものであつて、被告は昭和五六年一二月の点検以後、本件火災に至るまでの間消火栓の不具合を放置し、何ら改善策をとらないままであつたものと推認されること、更に、消火器具についても、昭和五六年四月、同年九月のいずれの点検の際におしても、寮通路に設置された消火器具について再充填要の指摘がなされていることがそれぞれ認められる。右事実に基づき、前記①、②、③の各物的設備について安全配慮義務が尽くされたか否かについて検討するに、避難設備については、被告は、本件宿舎内に通常階段のほか非常階段を設備しており、一応その義務を尽くしているといえるが、消火設備の点については、前記認定のとおり、本件宿舎は防火造であるとはいつても老朽化した木造建物であつて火のまわりは早いのが一般であるから、初期の消火体制については特段の配慮を要するものと考えられるところ、被告は、本件宿舎内に二本の消火器を備え付けただけであるが、自動火災通報装置を備えつけていること、右器具については六か月に一回程度は点検が実施されていることからすれば、消火器の数が少なきに失する点はあるが一応被告はこの点についての安全配慮義務を尽くしたと思えないでもない。しかし、前記認定のとおり初期消火には非常に重要と思われる消火栓は、人の居住する老朽木造建物である本件宿舎に設置されていないばかりか、本館に設置された消火栓も、右自動火災通報装置と消火栓の起動装置との連動という重要な点について度々欠陥が指摘されながら、何らの対策を講ぜず、そのため本件火災の際においてもこれが何ら有効に機能しなかつたものとみられること、また、消火器についても数は少なく、更に度々は再充填の指示がなされていることからすれば、被告は、一応の消火設備は備えていたものといえなくはないにもせよ、その日常の管理においては重大な手落ちがあり、更に前記認定の事実関係に照らせば、訴外鈴木、同鎌田が、その出火に気づいた初期の段階に、備付けの消火器と設置に係る消火栓を使用した有効な初期消火を行つていたならば、火災は速かに鎮火して亡美由紀は本件事故により焼死するに至らなかつたものと推認されるから、右手落ちは、訴外鈴木、同鎌田らの本件出火に対する不適切な対応と相まつて、本件事故の原因をなしているものであり、両者の間には、法律上のいわゆる相当因果関係が存するものというべく、右の落度の存することにおいて、被告には安全配慮義務違反があつたといわなければならない。
(二) 初期消火のための人的整備、被用者らに対する防火監督指導、被用者らに対する消火方法、避難方法等についての指導、防火管理者及び火元責任者の選任等について
<証拠>を総合すると以下の事実が認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。
被告は、昭和五五年に、消防法八条一項にしたがい入院患者の避難を主眼とした、松永病院における消防計画(同年九月一二日実施)を作成し消防署に届け出ているが、同計画においては防火管理者の権限及び計画適用範囲、防火管理委員会、予防管理対策、自衛消防対策、震災対策、防火教育及び訓練等の諸点についての定めをなし、右計画に基づき東京松永病院自衛消防隊を編成し、避難経路図を作成し、また、前記認定のとおり、防火管理者兼自衛消防副隊長として訴外鎌田を、本件宿舎の火元責任者として訴外鈴木をそれぞれ選任したこと、なお、自衛消防隊編成表(夜間)によれば、消火班として夜警と寄宿者居住者の半数が予定されていたこと、昭称五五年九月一九日には本館三、四、五階を利用しての避難訓練を、同五六年九月一日には医師会により警戒宣言を受電したという設定の下にガスの元栓、入院患者の確認、カルテ運搬準備等について自衛消防訓練を、同五七年二月一七日には、訴外鈴木も含め七〇名が参加して松永病院本館裏側空地において消火器操作方法の指導を中心とする自衛消防訓練をそれぞれ実施したこと、松永病院院長の松永剛三郎は、一年に四、五回職員に訓示する際に火災を発生させないようにと注意し、昭和五一年ころ「火の用心」という貼紙を各部屋に貼るように指示したことがそれぞれ認められる。
しかし一方前記認定の事実によれば、訴外鈴木は、前記のとおり、電気コソロをつけたまま寝込んでしまうという重大な過失により出火させたうえに、火災発生に気づいた後も近くの消火器を使用することなく洗面器に水を汲んで二回火元に水をかけるといつた常識外の稚拙な行動に出ただけで、ほかには訴外鎌田に火災発生を知らせた以外何らの消火活動を行わず、また二階には居住者が残つていることを十分に承知していた筈で、居住者に火災の発生を知らせ避難を促すことは容易であつたにもかかわらず二階の居住者に配慮した形跡は全くなく、したがつて二階の居住者に対し何ら避難をうながす等の措置をとることもなく自らはいち早く現場から逃げ去り、また訴外鎌田も、火災発生を知つた後は急いで本館の消火栓のもとに走つただけで本件宿舎の居住者に対しての配慮を怠り、二階の居住者に対して合図を講じる等の措置をとらなかつたものとみるほかないのであるが、<証拠>によれば、当直看護婦である訴外高橋は、自動火災通報装置による非常ベルが鳴つたのに誤発信と速断してスイッチを切つているが、同女は火災時の初動措置については、被告から今までに何らの指示を受けたことがなく、同じく当直看護婦の訴外神代も勤続二年半になるが、今までに避難訓練に参加したことはなく、消防計画の存在や右計画に基づく自己の担当すべき役割についてはこれまで全く知らされていなかつたこと、本件事故当時、前記自衛消防消火班として予定されている筈の夜警は配備されておらず、訴外鈴木は逃げたため、訴外鎌田のみが本館での消化活動に当たつたにすぎないことがそれぞれ認められ(右認定を左右するに足りる証拠はない。)るのである。
そこで以上に基づき、被告が前記⑥のとおり、被用者らに対し、火災発生時の対応措置につき十分に指導監督したものといえるかどうかの点を考えるに、被告における消防計画が作成され、若干の避難訓練が実施されていたことは前記認定のとおりであるが、右の避難訓練には、前記認定のとおり、訴外神代も参加せず、また避難経路図にしたがつてのものではない点からみてとうてい十分な避難訓練であるとは評価できず、また、本件火災後の訴外鎌田、同鈴木、同高橋、同神代の前記認定にかかる行動等にかんがみるとき、火災発生後の対応措置について被告が平素から十分な指導監督をつくしていたものとは認め難いのである。
そして、前記のとおり、訴外鎌田は、防火管理者であると共に松永病院自衛消防隊の副隊長の地位にあつて、前記消防計画三条には「防火管理者は松永病院全般の防火管理業務の権限を有する」旨が定められ、その四条には「防火管理者は消防計画の作成及び変更、消火通報及び避難誘導等の実施、消防用設備等建築物火気使用設備器具危険物施設等の検査整備の実施及び指導監督等について一切の権限を有する」旨定められていることに照らし、松永病院における消防体制の中心的役割を担う重要な地位にあるものというべきにもかかわらず、前記認定のとおり、病院の職員らに対し、消防体制を十分に周知徹底させていないばかりか、同人自身においても、前記認定のとおり、火災発生時最も危険な状況に置かれた本件宿舎階上の居住者の人命の救出のための配慮をせず、また適切な行動をとらなかつたものであつて、防火管理者としては不適格であつたが、<証拠>によれば、訴外鎌田が被告の事務長に就任したのは、たまたま被告に勤務していた同郷人の誘いに応じて被告に勤務することとなり、当初は医事係と考えていたところ、被告の事務室には誰もいなかつたために何もかも取り扱わざるをえず、自然に事務長的な仕事をするようになつてしまつただけのことであるほか、右訴外鎌田が被告の防火管理者に選任されてその地位に就いたのも、被告が所轄の消防署より、防火管理者を置く義務があるが病院の事務長がこれに当たるのが適当である旨を受けて漫然これに従つたというだけのことにすぎないのであつて、被告において右鎌田の事務長ないしは防火管理者としての適格性に関する格別の審査や検討を行つて、その意思や責任感、その地位、経歴、年令、体力、被告の規模や組織の大小、防火体制の具体的内容、程度等を総合的に判断してこれを決するなど、その職務にふさわしい人物と判断した後に訴外鎌田を事務長あるいは防火管理者として配置したわけでは全くないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないから、被告が訴外鎌田を防火管理者に選任、配置したことそれ自体において被告の安全配慮義務の履行には欠けるところがあり、被告は右義務に違反したものというべきである。また訴外鈴木は、前記認定のとおり、前記消防計画一〇条によれば火元責任者の業務は、「担当区域内の火気、使用設備器具、電気設備、及び消防用設備等の日常の維持管理、地震時における火気使用設備器具の安全確認、防火管理者の補佐」である旨定められているにもかかわらず、前記認定のとおり、同人は多量の飲酒をした末酔余電気コンロを通電状態にしたまま寝込んでしまつた重過失で出火させたのみならず、火災発生後も何ら有効な消火措置をとらなかつたうえ、本件宿舎居住者に避難すべき旨の呼びかけもしないで現場から早々に逃げてしまつたものであつて、火元責任者としては著しく適格性に欠ける者であつたというべきところ、<証拠>によれば、訴外鈴木が火元責任者に選任された理由は、本件宿舎には訴外鎌田を除き他に男子がいないことと訴外鈴木がかつてガードマンの職歴を有していたというだけのことであつて、被告として、右鈴木の火元責任者としての、飲酒癖の有無・態様等を含む適格性全般についての審査検討は全くしていないものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないのであるから、被告が右のごとき訴外鈴木を、本件宿舎の火元責任者として選任、配置したこと自体もまた被告の安全配慮義務の履行に欠けるところがあつて右義務に違反したものといわなければならない。
右のとおり、被告は、前記⑥の被用者に対する火災発生時の対応措置に関する指導監督の不十分及び前記⑦の防火管理者・火元責任者の各選任・配置の点において、安全配慮義務に違反したものであつて、本件事故当時亡美由紀は後記のとおり、若く健康な独身女性であつたのであるから、被告において右義務を尽くしていたならば本件火災が発生しなかつたか若しくは発生した後においても、迅速有効な消火措置、亡美由紀に対する火災発生の連絡等がなされることにより、亡美由紀は右火災発生後速やかに消火若しくは避難し得て焼死というような事態に至ることもなかつたものと推認されるのであつて、右推認を左右すべき証拠はないから、右安全配慮義務違反と本件事故発生との間には法律上の相当因果関係があるものといわなければならない。
5 以上のとおり、被告は安全配慮義務に違反したことが明らかであつて被告が安全配慮義務を尽くしたことを肯認するに足りる事実関係を認めるに十分な資料はないから、安全配慮義務を尽くした旨の被告の主張は採用できない。
そうすると予備的主張(不法行為)について判断するまでもなく、被告は亡美由紀及び原告らに生じた後記損害を、後記認定のとおり賠償すべきものといわなければならない。
四損害
1 逸失利益 金三三二六万三六八五円
本件事故当時亡美由紀が二二歳であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば亡美由紀は死亡当時独身の健康な女性であつたことが認められ、右認定を左右すべき証拠はないから、同女は、本件事故により死亡しなければ今後六七才までの四五年間就労可能であつたところ、<証拠>によれば、亡美由紀は、本件事故前一日当たり金六八八〇円(一円未満切捨て)の、賞与として年間金三六万八〇〇〇円の各収入を得ていたことが認められ(右認定を左右するに足りる証拠はない。)、少なくとも前記稼働期間右収入を得られた筈であるから、右金額を基礎として、生活費三五パーセソトを控除し、ライプニッツ式計算法により年五パーセントの割合による中間利息を控除して亡美由紀の逸失利益の死亡時における現価を算定すると、次の計算式のとおり、金三三二六万三六八五円(一円未満切捨て)となる。
(6,880×365+368,000)×(1−0,35)×17,7740=33,263,685
2 慰藉料 金一三五〇万円
弁論の全趣旨によれば、亡美由紀は、本件事故により死亡するに至る傷害を受け、多大の精神的苦痛を被つたうえ死亡したことが認められる(右認定を左右すべき証拠はない。)ところ、本件事故の態様、同人の年令、被告の安全配慮義務違反の態様、<証拠>によれば、被告は亡美由紀の本件事故について誠意ある対応をしていないことが明らかであることなど、本件にあらわれた諸般の事情を総合すると、亡美由紀の右精神的苦痛に対する慰藉料は、金一三五〇万円が相当である。
3 弁護士費用 金三〇〇万円(原告は各自につき一五〇万円)
本件事案の性質、内容、訴訟の経緯、認容額等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係ある損害として賠償を求めうる弁護士費用は、原告ら各自につき金一五〇万円の合計金三〇〇万円が相当である。
4 合計
右1ないし3の金額を合計すると、金四九七六万三六八五円となる。
5 損害のてん補
亡美由紀の本件事故に関する損害に対し、いわゆる労災保険から金一〇二九万三八六〇円が支払われたことは原告の自認するところであるから、右4の金額から右てん補額を控除すると残額は金三九四六万九八二五円となる。
6 相続
原告らが、亡美由紀の父及び母であり、他に亡美由紀の相続人が存しないことは当事者間に争いがないから、原告らは、亡美由紀の死亡により同女の右損害賠償債権(3弁護士費用を除く。)を各二分の一(法定相続分)の割合で相続取得したというべきであり、そうすると原告らは前記弁護士費用を加えそれぞれ金一九七三万四九一二円(一円未満切捨て)の損害賠償債権を有していることになる。
五以上の次第で、原告らの被告に対する本訴請求は、各金一九七三万四九一二円及び右各金員に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和五七年一〇月二〇日から右各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言及びその免脱宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(仙田富士夫 松本久 古久保正人)